
歴代の西成暴動まとめ一覧24選!過激順ランキング【最新決定版2025】
大阪府大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ヶ崎)で日雇い労働者が起こした西成暴動は、世間に大きな衝撃を与えてきました。そこで今回は、これまで発生した西成暴動を過激順にランキング形式で紹介します。
8位:第10次西成暴動
7位:第24次西成暴動

警察官18人が負傷
翌6月13日より、釜ヶ崎地域合同労働組合は警察の対応を批判し、午後5時30分頃から西成署前で抗議活動を始めます。そして午後8時30分頃から暴徒化の兆しを示し始めたため、機動隊が出動し西成署を警固。その際に8人を検挙。そして6月14日から17日まで断続的に暴動が続きました。17日になると、日雇い労働者だけでなく、不良少年も騒ぎに乗じて西成署に来襲し、一緒に投石したり花火を打ち込む者もいました。その結果、警察官18人が負傷。6月18日、釜ヶ崎地域合同労働組合の委員長稲垣浩が、道路交通法違反で逮捕。抗議活動の際に街宣車を停め、労働者を多く集結させて通行を妨害した容疑です。この逮捕をきっかけに暴動は急速に沈静化に向かいました。
6位:第12次西成暴動
西成暴動の過激ランキングTOP5-1
5位:第14次西成暴動

2,000人の日雇い労働者が集結し、S建設の車を焼き討ちに
1972年5月28日午前6時15分頃、愛隣総合センターでS建設の手配師が求人しようとしたところ、新左翼系の日雇い労働者から「おまえのところは悪質や」「ピンハネ業者や」と罵倒されたため、取っ組み合いの喧嘩となり、双方に怪我人をだしました。これがきっかけとなって、同センター周辺に2,000人の日雇い労働者が集結し、このS建設の車を焼き討ちにします。そして「悪質業者をやっつけろ」と叫びながら、別の業者にも暴力を振るったり、車を叩き壊すなどの狼藉を働きました。同日夜、約1,000人の群衆が大阪府警察西成警察署に集結し、近くにあった車を焼き討ちにしたり商店のシャッターを破壊、5月29日午後7時30分頃から群衆が集まり始め、阪堺電気軌道阪堺線南霞町停留場方面に向かって進むと、南霞町駅周辺で「学生風の一団」が群衆の中に入り、「解放区を作ろう!」「暴力手配師を締め出せ!」と煽って更に過激化。そのうちの一団はあいりん地区から約1キロメートル離れた天王寺駅前まで進出。天王寺駅まで進出したのはこれが初めてでした。5月30日・31日も投石騒ぎが起きていますが、この日を境に次第に平穏を取り戻していきました。
4位:第9次西成暴動

愛隣総合センターを放火
1970年12月30日午前6時30分頃、あいりん地区内の愛隣総合センター前に1台の土建会社のマイクロバスが到着。日雇い労働者が大勢押し寄せ、たちまちマイクロバスは満員となりました。マイクロバスに乗れなかった日雇い労働者は、そのマイクロバスを取り囲んで騒ぎ始め、群衆は二手に分かれ、第一群はそのまま愛隣総合センターに突入。群衆は中にいた職員を監禁状態にして、求人数が少ないことを迫りました。一時間後、大阪府警察西成警察署から警察官が派遣され、職員を救出すると、群衆は室内の石油ストーブを倒し、放火して詰所を全焼させました。第二群は新今宮駅に向かい、その途上で時計店を略奪したり、民家の窓ガラスを割ったりするなどの騒ぎを起こしました。
3位:第8次西成暴動
2位:第22次西成暴動

南海本線西側の花園北交差点付近でも放火や略奪が起きる
1990年10月2日午後より、あいりん地区内で大嘗祭に反対する旨の演説が行われていた。そして演説者が飼っていた犬が署員に噛みついたため、この演説者を西成署に任意同行させたのがきっかけでした。午後6時頃から西成署前に労働者が集まりますが、その最中に「西成署員が暴力団から賄賂を受け取る」というニュースが飛び込んだことから、労働者の怒りが一気に爆発。午後8時頃になると労働者は暴徒化し、投石や自転車に火を付けて気勢を上げます。10月3日以降も断続的に暴動が続き、やがて暴動はあいりん地区外にも拡大、南海本線西側の花園北交差点付近でも放火や略奪が起きました。4日夜には阪堺電気軌道阪堺線南霞町停留場が放火で全焼。また、この暴動を聞きつけて、暴走族などの不良少年も参加。発生から6日目の10月7日になり、ようやく沈静化しました。放火された南霞町駅は北側に仮設駅を設けて営業を再開し、元の位置に戻ることなく現在に至っています。
1位:第1次西成暴動
まとめ
ここまで西成暴動の過激ランキングを紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。西成地区では危険で過激な暴動が繰り返されてきました。今後このような過激な暴動が起こらないことを祈るばかりです。
1971年5月25日午後5時30分頃、あいりん地区内の愛隣総合センター前に1台の港湾運送業者のマイクロバスが到着。日雇い労働者が大勢押し寄せたため、身の危険を感じたマイクロバスの運転手は会社に戻ろうとします。マイクロバスに乗れなかった日雇い労働者約130人はこれに憤慨し、そのマイクロバスの後を追って、会社まで押しかけました。約3時間粘って「電車賃」の名目で金銭を獲得することに成功し、意気揚々とあいりん地区に引き揚げました。ところが、あいりん地区に潜入していた新左翼活動家が、「警察は先ほどの団体交渉で不当介入していた」と日雇い労働者を煽動したため、騒ぎが拡大することになりました。