
【死亡】落馬事故54選・日本と世界別!衝撃ランキング【最新決定版2025】
2024年に入り、落馬による死亡事故が相次いだ競馬界ですが、これまでどれくらい落馬事故が発生したのかご存知でしょうか?そこで今回は、これまで起きた落馬事故を衝撃順にランキング形式で紹介します。
日本の落馬事故!死亡・衝撃ランキングTOP50-46
日本の落馬事故!死亡・衝撃ランキングTOP45-41
日本の落馬事故!死亡・衝撃ランキングTOP40-36
日本の落馬事故!死亡・衝撃ランキングTOP35-31
日本の落馬事故!死亡・衝撃ランキングTOP30-26

30位:佐藤哲三
生まれ: 1970年9月17日
出生地:福岡県
G1級勝利: 11勝(中央6勝、地方5勝)
初免許年: 1989年
所属団体: 日本中央競馬会
重賞レース54勝、G1レース11勝を誇る佐藤哲三は、2度の落馬を経験しています。2012年11月24日、京都競馬第10競走(騎乗馬トウシンイーグル)における最後の直線で落馬した際にいは、全身7カ所の骨折に加え、外傷性気胸、右下腿部裂創、右肘関節脱臼という重傷を負います。佐藤は、医師の予想より早く事故から2カ月後に自力で立てるようになったものの、事故当時毛細血管2本のみで繋がっていたという左腕の回復は進みませんでした。6度の手術を行い、リハビリも続けていたがついに復帰は叶わず、2014年9月16日に引退を表明しています。

29位:目時重男
生まれ: 1926年3月23日
デビュー年:1946年
通算勝利数:中央60勝 地方0勝
通算獲得賞金:中央2,553万円 地方0万円
1960年7月3日、第4回中山競馬2日目第5競走のサラブレッド系障害戦でハナフブキに騎乗したが、1周目の第2障害(土塁)飛越の際に落馬、頭部を強打して意識不明となります。直ちに東大病院に入院して精密検査を受けたところ、脳挫傷に脳内出血を発症しており、その日から酸素吸入とパイプ食事が始まるなど重篤な状態が続いたが、やがて医師からの呼びかけにわずかながら反応するなどの回復を見せます。しかし、意識は回復することなく、落馬から8か月後の1961年3月9日に、肺炎等の合併症を発症して死去しています。
生年月日:1996年1月20日
所属厩舎:伊藤和(水沢)
通算勝利:1,456戦67勝
競馬好きだった父と一緒に大阪杯を見て、ドリームジャーニーに騎乗した池添謙一のレースぶりに感動し、騎手を志す。騎手候補生だった2012年、東京競馬場の天皇賞(秋)出走馬の本馬場入場後に行われた相馬野馬追とチャグチャグ馬コの披露で先導役を務めました。2017年9月23日の盛岡競馬第6競走で落馬し、背骨を3本骨折。療養のため休業していたが、2018年1月31日付で騎手を引退したことが岩手県競馬組合より発表されました。騎手引退後は競馬評論家として活動しています。